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広報 日造協 2007年1月1日 第394号 |
新春特別号 座談会 |
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樽見の大桜
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樽見の大桜(たるみのおおざくら)
兵庫県養父市大屋町樽見にある幹周り5.15m、樹高13mの兵庫県で最大のエドヒガンザクラで、国の天然記念物に指定されている。いつの時代に植えられたかは不明だが、地元の人々が神の木として大切に保存し、樹齢は1,000年を超え、地上2mのところから数幹にわかれており、大きく伸びた枝は支柱に支えられながらも毎年美しい淡紅色の花をつける。また、江戸幕府生野代官所と出石藩の領地との境界木であったともされ、出石藩・仙石小出備前守が、その大きさと見事さから“仙桜”と名付けたといわれている。 (写真提供:兵庫県) |
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(社)日本造園建設業協会 |
新年明けましておめでとうございます。
会員のみなさまにおかれましては、新たな希望と目標をもって新年を迎えられた事と思います。 本年の干支は亥(猪)であります。猪突猛進、子沢山、嗅覚が犬より優れているなど変革が激しく少子化が進んでいる昨今には実にマッチングした干支となっていると感じます。 またイノシシは”牡丹“に例えられますが、牡丹は中国の国花であり、新年を祝う花として実におめでたい花です。 「立てば芍薬、座れば牡丹…」、日本でも優雅で気品ある花として知られております。 さて、昨年は姉歯建築士の偽装構造計算に始まり、村上ファンド問題やライブドア事件のさらなる疑惑など企業のモラル、コンプライアンスがクローズアップされ、また子供のいじめや教育現場の問題が大きく取り上げられるなど、各部分で社会システムに大きな改革を余儀なくされた年でありました。 一方、我々造園界に眼を向けると、都市公園法施行50周年など大きな節目の年であったと供に、当協会におきましても世の中の変化を踏まえた新しいビジョン「VISION21」を策定し、これを実行すべくアクションプログラム推進等特別委員会・造園団体連携特別委員会の二つの特別委員会を設置いたしました。 私も昨年6月の通常総会で協会の新たな会長として選任され、「人と自然が共生する造園」をキーワードとし、会員のみなさまとの協働のもとVISION21の達成に向け尽力する決意を固めております。 実際に昨年の9月より約3ヶ月間を要し、10総支部全てに伺い支部を含めた各地域の会員みなさまのご意見を伺うと供に、本部の考え方や情報なども伝えさせて頂き良きコミュニケーションを図れたと感じております。 これら貴重なご意見を基に、さらに充実した会員組織とすべく施策を立て実行してまいりたいと考えております。 昨年11月には当協会初の試みである「全国造園フェスティバル」を開催し、全国の会員が一丸となり日本全国84箇所の公園や広場において一斉イベントを行いNHKをはじめとした各種メディアに大きく取り上げられました。 本年はこれら良き方向に向かっている協会活動をさらに加速させるため、私の好きな言葉である「ビジネス スキルよりストロング ウィル」=”ビジネスの仕組みより強いやる気“を活動指針のコアとして進めてゆく所存であります。 ”牡丹“は奈良時代、弘法大師により中国から持ち帰られたとされており、この花言葉は”王者の風格・風格あるふるまい“です。会員一同健康には十二分注意を払い、この花言葉に見合う一年を過ごしましょう。 |
新春特別号 座 談 会 |
これからの造園像示す日造協の「VISION21」 五十嵐 今回のテーマとする「VISION21」は、平成9年に発表した「日造協のビジョン」を刷新したものである。 旧ビジョンは、平成7年に当時の建設省が「建設産業政策大綱」を発表、”新しい競争の時代“をキーワードとしていたことから、これに応える形で、造園建設業のあるべき姿を示したものであった。 バブル経済末期の当時は、心の豊かさや地球環境問題が問われ始めた頃であり、造園技術を”多様な生き物と共生し自然に対する慈しみの文化の技術“と定義し、他の技術との差別化、向上について提示。 さらに、造園建設産業は、”感性を持った生きもの技術“を基盤とした他に例のない産業とし、造園建設産業への理解を目指した。 しかし、それから9年が経過し、社会情勢は大きく変化した。多くの識者の方々が21世紀は環境の時代、緑の世紀と語る中、景観緑三法などの新たな制度が創設された。 平成18年に発表した「VISION21」は、こうした時代へ対応すべく策定された。 「VISION21」では、造園建設業を、オープンスペースをマネージメントし、計画・設計、施工、管理する”緑のスペシャリスト・緑地管理のゼネラリスト“とし、「人と自然が共生する『緑の景観・環境』創造事業」をめざすための五つの目標、七つの重要課題をまとめ、新しい造園建設業の向かうべき方向を明らかにしている。 ”旧ビジョン“はどちらかというと、建設産業政策大綱に対する業環境について頁を割いたものといえるが、「VISION21」は、新しい世紀が”環境の世紀“、 ”緑の世紀“となるだろうといった造園業界にとってフォローとなる風を背景としていたため、「これからの時代に求められる造園」といった課題に力を入れた点が大きな特徴といえる。 新たな年を迎え、新たなビジョンをもとに、事業を進めていくが、環境の時代という追い風の中にありながら、具体の事業というと、公共事業の縮減をはじめ、なかなか厳しいものがある。 そこで、この座談会では、「VISION21」の具現化、造園建設業の活性化に向けてのヒントが提示できればと考えている。忌憚のないご意見を頂きたい。 そこでまず、都市公園をはじめ我われが基盤としているとする事業を担っている小川課長に、ビジョンへのコメントを含めてお話を伺いたい。 三つの多様性踏まえた行政に 国土交通省の取り組み 主体については、行政はもちろん、NPO、市民、企業、さまざなま主体の参加が必要であり、制度では都市緑地法や都市公園法の二つの根幹となる法制度、さまざまな事業手法を駆使して推進していく。機能や意義は実にさまざまであり、そこに棲む生きものの多様性、地域の歴史や文化などの面での多様性もある。 こうしたことを踏まえて、「VISION21」を拝見すると、協会の理念に、NPO、市民の方々との協働、企業としての社会的責任を果たすことを掲げていることがまずもって共感できる。 緑とオープンスペースにかかわる政策課題という点では、四つの柱を掲げている。一つ目は「都市再生への対応」で、ゆとりと潤いに欠ける市街地、災害に脆弱な都市構造の改善という観点から都市の再生。 二つ目は「地球環境問題等への対応」で、地球温暖化の防止、ヒートアイランド現象の緩和、さらには生物多様性の保全など、環境の観点からの対策の推進。 三つ目は「豊かな地域づくり、子育て環境の向上への対応」で、観光振興、地域の活性化、子育て環境をどうやって確保していくか、地域の資源の活用など。 最後は「参画社会、バリアフリー社会への対応」で、緑とオープンスペースの保全・創出、管理の段階での地域住民やNPO等の参画による協働のための場づくりや、高齢者、障害者等に配慮した都市公園のバリアフリー化の推進――を行っていくこととしている。 「VISION21」では、これについても、五つの目標が専門技術者の的確な視点から示され、都市再生における安全性と快適性、地球環境の保全など、四つの政策課題にも対応している。 さらに、都市公園には多様な技術が必要であるが、その中核を成すのは造園技術であり、「VISION21」の目標では、伝統技術だけでなく、新技術の開発や革新にも触れられており、大いに期待される。 さらに、「VISION21」には、これらの具体的な展開として、新しい施策への対応や緑化による資産価値の向上、環境系技術の活用などが記されている。 ビルの屋上から、里地、里山、そして臨海地域まで、多様な環境技術が求められる現状への対応も、ビジョンに示された通り重要である。 そのほか、国際交流などは、タイのチェンマイで国際園芸博覧会が開催中で、日本国政府出展の日本庭園が好評を博している。日造協においては、日本の代表団体として国際園芸家協会に加盟されるなど、これまでの実績を踏まえ、今後の更なる活躍も期待される。 予算や今後の動向について少々お話しすると、平成18年は都市公園法施行50周年に当たる。第1次都市公園等整備5カ年計画の策定以降、飛躍的な整備が進み、1次2次が走り出し、3次4次がこれを継承し、5次6次でさらに発展した。 平成15年以降は、個別の5カ年計画から社会資本整備重点計画の時代となり、公共事業の縮減傾向が強まった。このため、国費の当初予算では平成9年の1702億円をピークに、平成19年度はその3分の2、地方公共団体では、整備費はピーク時の3分の1に落ち込んでいる。こうした予算の減少から、予算に対する維持管理費の割合もピーク時の2割から5割近くに上るようになっている。 このような厳しい状況の中で現在、次期の重点計画に向け、社会資本整備審議会の公園緑地小委員会で審議を行っている最中である。委員として小田原市の小澤市長にご出席いただいているが、身近な公園が不足し、子どもたちが安全に安心して遊べる場所の確保が求められていると指摘され、リニューアルも欠かせない状況というお話であった。また、ドッグランやキャッチボールのできる公園など、多様なニーズが求められていることや、街路樹についても、一定水準を保って、整合的な管理を行う必要があるとのことであった。 五十嵐 自然公園整備などを通じて、以前からご指導をいただくとともに、会員に新たな事業分野につながるのではないかとの関心も高い環境政策を担当されている渡邉課長に伺いたい。 渡邉 地球環境、生物の多様性という観点からお話しする。資料としてお持ちした「新・生物多様性国家戦略」は平成14年に1年がかりで各省と一緒につくったものだが、この戦略のもとになっているのが、生物多様性条約で、リオの地球環境サミットで、温暖化防止条約とあわせて結ばれたものである。 新戦略はそれまでの戦略を抜本的に見直して作成したものである。大きな特徴は、従来の自然環境行政で重点が置かれていた、奥山の自然地域や貴重な動植物などに関する政策に加え、都市や海を含めた国土全体の自然の質を高めるための政府全体のトータルプランに位置づけた点である。 新戦略のパンフレットの表紙は、伊藤若冲の「池辺群虫図」で、水辺の多様な生物が描かれている。これは、100年、200年掛けて、各省、市民、企業等の連携によって、絵にあるような生きものの賑わいを国土全体に取り戻していこうという意図である。 新戦略の施策の方向は大きく三つで、一つ目は国立公園に代表される保護地域の充実強化や外来生物の対策といった「保全の強化」。二つ目は里地・里山といった人の生活・生産活動との関わりの中で自然をどう利用し、管理していくかという「持続可能な利用」。三つ目に傷付いた「自然の再生・修復」というテーマをあげている。 この自然の再生・修復は各省庁合わせて、全国で150ほどのプロジェクトが開始されており、森林、草原、湿原、河川、干潟、サンゴ礁など、いろいろな生態系を対象としている。 私も釧路湿原再生の立ち上げに2年ほどかかわった。釧路湿原は日本最大の湿原で約2万ha。流域はその10倍以上の約25万haで、湿原の周りは国立公園になっているが、土砂や栄養分の流入など、流域全体から影響を受け、地下水の低下や富栄養化などが進行し、湿原の質が悪化している。悪化に歯止めをかけるためには、国立公園や野生生物、河川、農地・農業、森林・林業など、さまざまな関連部署の連携が必要で、川と森とつながった湿原生態系の回復が進められている。 しかし、地域には20数万人の人々が住んでおり、長い目で見ると、ここに住まう人々が湿原の恩恵を身近に感じ、湿原への負荷を軽減するライフスタイルの見直しを自ら考えるところまでいかないと、本当の保全・再生というのは難しく、そこまで行くには相当の時間が掛かると思っている。 釧路湿原は一例だが、自然の再生・修復は、空間の広がりが大きく、時間の掛かる事業であるといえる。 だからこそ、事業は地域にあったプランニングが欠かせず、工学的な視点に加え、生きものの側からの視点が必要であり、従来から自然公園でご活躍されている造園建設業の方々には、こうした自然の再生・修復でも、「VISION21」に示されたとおり、より一層のご協力をいただければと思っている。 また、新戦略の中では、国土全体を見渡して、奥山、都市の中間に里地・里山が国土の4割程度に広がっていると捉えているが、これらそれぞれの地域のみどりの質を高めていくことが重要であり、都市の緑化、河川、海岸、道路などの整備が、生態系ネットワークの縦の軸、横の軸として、奥山、里山、都市を結んでいく。そんな国土の将来像を目指していくことを示した。 平成19年は新戦略の策定から5年目にあたり、再び第3次の国家戦略を各省庁と一緒になってつくっていくこととしている。前回もさまざまな団体、学会等のご意見をいただいたが、日造協からもぜひご意見を伺いたい。 生物多様性についてのもう一つの動きを紹介すると、2010年に「第10回生物多様性条約締約国会議(COP10)」が開催されることになっているが、日本でぜひ開催しようとその誘致を進めている。 会議は、締約国189カ国が概ね2年ごとに集まる環境分野のトップクラスの国際会議であり、3年後の話になるが、行政だけではなく、市民、企業など、社会全体で今から生物多様性、自然との共生にかかわる議論を盛り上げていければと思っている。 都市公園法施行50周年の話があったが、自然公園の関係では、平成18年に国立公園法制定75周年、自然公園法に変更されてから、平成19年がちょうど50周年となる。 生物多様性の面から考えても、国立公園は骨格的な部分であり、美しい国土をつくっていく上でも、一つの核になる部分である。新しい時代の要請を受けて、国立公園・自然公園の指定や管理運営はどうあるべきか。新しい方法を考えようと平成18年秋から検討会が動き出している。 ここでは、生物多様性の視点を自然公園の仕組みにどう織り込んでいくのか、国立公園を地域の誇りとして捉えていただけるように地域の人たちとどう公園をつくっていくか、その辺の地域参加の管理運営体制などについて議論していきたい。 自然公園も、今の状態が完成ではなく、地域とともにそれぞれの公園の質を高めていくという考え方が大切だと思っている。その点でも日造協の知恵が必要になってくると思っている。 五十嵐 造園建設業は、整備直後が完成ではなく、緑の育成管理を通じて良い作品に仕立て上げていくことを目指している。そういった点でも、改めて協働できるメニューの広がりを感じる。
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涌井 史郎 氏 藤巻 司郎 氏 高村 芳樹 氏
日造協の理念と目標 壁面緑化の普及の代名詞となった愛・地球博のバイオ・ラング
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造園は地域の自然に培われた産業 「多面すぎる」から「多面性をどう発揮するか」に意識転換 地域に根ざし、市民との協働が造園の未来をつくる 五十嵐 これまでのお話を踏まえて、「VISION21」をどう具体的に活用していくかなどを涌井先生に伺いたい。
みどりはあらゆるものを結ぶ 造園本来の多様性の発揮を 地球の歴史は46億年で、生命史は36〜38億年といわれている。私たちが文明を獲得してからは約1万年、近代科学技術が生まれて約300年。365日に置き換えれば、これは12月31日の23時59分58秒で、たった2秒から、地球のことを全て語れると考えることは誠に不遜なことである。人間の創世紀に於いては、自然を神として畏怖し、尊敬し、敬愛してきた。しかし、農業が生まれることにより、自然との共生を考える道筋、さらに工業化社会の進展により、自然より自分たちの力が上回っているのではないかとの意識が生まれた。現在はこの錯覚が、人類の生存の危機を招いていると、改めて人類を自然の中に位置づけ直そうと試みている。 こうした地球規模のさまざまな問題が発生する中、いま改めて、自然と人、人と人との関係の中で、つながり、つまり相互の関係性を断ち切ってしまったことに原因があるのではないかと考えている。 「造園」の成り立ちを歴史的にみると、その時代時代において、そうしたつながりを空間の上に展開する役割を果たしてきたことがわかる。例えば農的な景観と都市的な景観のつなぎ目を造園が上手くかたちづくってきた。日本庭園の構成に見られる近景、中景、借景にも、都市、里地・里山、奥山の構成そのままが巧みに、取り入れられ表現されている。 さらに、都市における生物的な存在としての人間を考えた場合、都市が人間を文明的な存在として位置づけた結果、生物的存在としての人間像を矮小化させてしまった。 そこで、都市に生理と心理を併せ持つ人間性を回復させようと、生物的な存在と都市との結び役、つなぎとして公園緑地が培われてきた。今後のみどりは、都市と自然地域とのつなぎ、文明社会と地球環境社会、生態系を結んでいく役割を担っていると考えてみたい。 さて造園産業は、ニッチ、隙間の部分を担う産業であると考えられる。今一般的に造園建設業は危機に瀕していると言われる状況下にあるものの、他方幅広く多面的で、多様性に富んだ技術を培ってきた集団は、造園の他にはない。言わば、異質のものを縫い合わせる力を持っている。 私は、景観は地域遺伝子と言っているが、造園はまさに地域夫々の自然に培われてきた建設産業であり、それ故に、地域の自然特性、その地域の自然を熟知した技術者集団であると理解している。 地場材料をよく知り、土地の癖をよく知るが故に石組み、植栽一つをとっても、その土地でなければならない手法を編み出してきた。 こうしたことを考えると、さまざまな自然とのつながりが求められる今、他の技術領域が造園的視点、あるいは造園技術を多用しようとしていることはむしろ必然だと思う。 しかし、残念なことに、造園建設業に従事する皆さんは、そうした造園が持つ価値を見忘れ主張することも無い。過去の栄光というか、公共領域の仕事に甘やかされ、型通りの仕事をしてきたせいか、本来造園が持っていた独自性や多様性を発揮していない現状が見受けられる。 私は造園業の方々に、市民、国民こそが我々の味方であり、こうした方々に対して「みどり」によってつながれるファシリテーター、インストラクションをする役割を果たしていくことが大事であると申し上げたい。市民と協働してこそ、造園の未来があり、その運動の主役を果たすことによって結果として建設事業が支えられていく構図を理解して欲しい。それが発注を作り出す”創注“になると考えている。 もう一点、公園緑地には新しい視点が必要だと思っている。公園緑地は、防災やレクリエーションなど、さまざまな役割を担い、貢献してきたが、わが国のみどりは実は、私的なみどりによって支えられてきた。これは世界的にも珍しく、かつその質・量ともに高い水準にあった。ところが残念なことに、私的なみどり空間に質・量ともに依拠して十分な時代があったために、公的にそれを担保するスタートが遅れてしまった。そうした経緯に原因して今になって激しい勢いで崩壊している都市のみどりの体系を食い止められず、公的な「みどり」の整備・保全を図っても、追いつかない状況を生んでいる。 私的なみどりの減少は、現在の財産制度の中で、仕方のない現象とも言える。そこで土地の高度利用を進め、空き地をみどりにしていくなどの努力もあるが、その一方で、私的なみどりを担保するために如何に所有者や管理者に活力を与えていくかをさらに検討実施する必要がある。行為制限等の制度的な担保、税制の優遇などにとどまらず、PPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)といった考え方の導入や新しい財源の確保を考える必要がある。 これは、当面の私の研究分野になるが、都市における人間の疾患を調査してみると、いわゆる遺伝性疾患、外傷性疾患、感染性疾患の三大疾患以外の8割は、生物としての人が都市環境に対応しきれないストレス性疾患であることが明らかにされつつある。 従って、このストレスをいかに低減させるかで、国民の医療費負担を低減させることも可能になる。1946年にWHOは、健康とは医学的な問題のみならず社会的に安全で安寧な状態をいうと、定義している。まさに、公園緑地が目指してきたものと合致しており、公園緑地には、これまでの役割に加え、国民が健康であるべき都市を目指す上で欠かせない社会資本としてのフロンティアがそこにあるのではないか。 これからますます高齢化が進む中で、負担と給付の財政的議論だけではなく、いかに元気な高齢者でいてもらうか、さらにこうした方々に公園や生物多様性が求められる地域の中で、どう活躍していただくのかを考えることがあってもいい。これは、高齢者の方々をボランティアとしてお迎えした、愛・地球博の総合プロデューサーとしての実感である。 日本の都市人口は国土の30%の土地に、83%の人口が住むという都市集中の現実があるなかで、残された国土の里地・里山、奥山を誰が管理するのかという問題が出てくる。愛・地球博では高齢者の方々の活躍の場があり、会期中は医療機関から高齢者の方々の姿が目に見えて少なくなったと聞いた。高齢者の方々が活躍する場づくりは、同時に高齢者の方々を元気にする場であり、こうした方々に都市以外の国土を生き甲斐を持って支えていただくことはきわめて重要だ。 よって、医療費はこれまで疾病を起こしている方々に対して考えられるものであったが、健康な人々、健康な人々でいられる国土づくりに対しても考えられるべきであると思っている。 さらに、非常に気になっている問題として、不動産取引がある。本来、土地は実物経済であるが、金融の証券化が著しく進んで、不動産取引がバーチャルな取引になり、土地への愛着やそこからくる保全意識などといったものがどんどん収縮してしまっている。 例えば、地域の人に愛され、大切にされている土地の価値は、公示されている額面だけでは示されない。こうした環境価値、取り分けみどりの価値を土地価格に適切に反映させていく、こうした市場に於けるみどりの不動産評価の体系が必要である。 緑地評価では、7都市緑化基金によりSEGESがすでに実施されているが、さらに一歩推し進めたい。現在、不動産研究所などとともに、土地そのもののみどりや、近隣の公園緑地との距離、生物多様性を担う空間との関係などをきちんとした経済財として評価することを検討している。 ソーシャルベネフィットを具体的な私有の財産にも投影するような経済のシステムを描き出すこともこれからのフロンティアといえる。 造園建設業の活性化については、これまで話してきたさまざまな場面に対し、造園建設業に携わる方々が、「VISION21」をベースにして、いかにチャレンジ、挑み、成功事例を出していけるかがもっとも大事なことだと思う。 五十嵐 造園建設業には、さまざまな可能性があるという明るい展望から、自らの多様性を発揮していないという現状と、成果を得るには、今後のチャレンジに掛かっているなど、自助努力の必要性を示唆いただき、大変勉強になったが、現場としてどう感じられたか、会員を代表する立場で、藤巻、高村両副会長にお話いただきたい。
ビジョンをどう行動に移すか 自分のものとして読んでいるか、理解しているか 「VISION21」は、会員が知恵を振り絞って作成し、作成中にもさまざまな社会情勢の変化もあったが、本日皆様から一定の評価をいただいたことでまずは安心している。しかし、このビジョンをどのように行動に移していくかが重要である。 全会員に配布しているが、まず読んでいるのかという点、そして、理解しているのかという点が気になっている。 ビジョンをすべて実行すれば、優れた企業になる確信をもっているが、各会員がすべてに取り組める環境でない場合もある。自分の会社は、どの部分でアクションを起こしていくのかという具体的なことを考えておられる方はまだまだ少ないと思う。 各社で取り組むものと、協会として取り組むものがある。そうしたかかわり方もより具体的に整理する必要があるかもしれない。 今後、今日のお話を踏まえて、協会の各委員会などでも検討を行い、市民、国民に理解を得られる協会、会員であるよう努力していきたい。
”これまでの延長”が現場の現状 混乱した状況の整理と指導者が必要 いままでのお話にもあったように、造園は実に多様なものの複合で、あれもやらなきゃならないし、これもやらなきゃならないしと、何にフォーカスを当てていいかがわからなくなってしまっている部分もあるように思う。違う業種であれば、細分化された領域を掘り下げていくことに集中できるのかもしれないが、造園は対応する分野も用いる技術も幅広く、これらを少しずつ組み合わせるという特殊性があり、さらに企業規模も家族的なところから、大きなところまでいろいろある。 皆さんのお話やお書きになられたものをさまざまな機会に見聞きし、会員の方々も希望は持っていると思う。しかし、「何をしたらいいんだろうか」と考えつつも、「…わからない」と、これまでの延長でやってきたというのが現状ではないだろうか。 こうした中、愛・地球博では、涌井さんをはじめ、造園関係の方々が博覧会の開催にあたり中心人物として活躍されていた。これは今までに経験のないことであり、単純に言うと、あれだけのイベントに造園界を代表して、会場整備の指揮をとっている方々に恥をかかせてはいけない、そういう思いで取り組むことができた。 ここから学んだことは、企業でも一つの公園でも、社長や管理者がいて、「後は任せた」だけでは、ちゃんとしたものにはならないということである。インストラクター、コンダクターのような指導、指揮者の存在が必要だ。利用者の使い勝手や生物の多様性の問題など、関連するあらゆる視点、ソフト面から、こうした方によりいいのではなどの助言、さらにはそうしたやり取りの中からいいものが生まれてくる。公園もつくった後は、利用者任せではなく、どう利用するかといったソフトが必要であり、そこにはインストラクター的な存在が必要だ。 こうした存在は、あれもこれもやらなければならないと、混乱した状況の整理にも役立つ。こうして一つずつ物事を構築していかないと、あまりにも多面的にかかわり過ぎているがために、混乱した状況を脱し得ない。 「VISION21」も社長だけがわかっていても具体化できない。社員一人一人が理解し、それを実現しようという気持ちを持たない限り、本当の意味で先には進まない。 また、協会としては、今回の座談会をはじめ、さまざまな機会を通じて、「VISION21」の理解や理解を深める活動にも取り組んでいく必要があると思っている。 五十嵐 立派なビジョンはつくったものの、その実現こそが問題だとの具体的な課題が出てきた。実現には造園建設業界が造園に関する専門技術者集団であることをもっとアピールしなければ、期待される幅広い領域に取り組んでいけないと思うが、専門技術者集団という視点で造園建設業界をみた場合に、どのように評価をされているのか、お伺いしたい。 小川 多面過ぎるということと、そういう領域を持っているからこそ多面性を発揮する必要があるということは、造園領域の幅広さを示されたもの。涌井さんも高村さんも違う言葉で同じことを言われたのだと思う。 渡邉さんからは生物の多様性、涌井さんからは健康インフラ、みどりはつなぎ手であり、結び役との話があったが、これに対応する造園領域が持つ技術は、地域の持つ潜在力を生かし、地域の品格を高める技術と言い換えることができるのではないか。愛・地球博の話もあったが、自然の叡智を讃え、学ぶことにもつながる技術であり、自然を生かしつつそれに働きかける技術といえる。 「品格」や「もったいない」という言葉が昨年はもてはやされ、「もったいない」は、環境に対する取り組みで初めてノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイさんが、来日の際に知って共鳴され、「もったいない」を世界に広げる活動を展開されている。私は、地球こそ、もったいないという感覚で捉えるべきものだと思う。 宇宙から見た地球の映像が初めて公開されたとき、人々は青く美しい地球の姿に感動した。しかし、残念ながらその感動だけでは、美しい地球を守ろうという所まで十分つながらなかったのではないか。 私たちは、生きるために必要なものを地球から得ている。大地や海からの収穫、狩猟による恵みに感謝し、有難く思ってきた。米一粒でも「もったいない」と思う日本人の感覚は今でも残っていると思う。 限られた環境をその特性を生かして耕し、食料を得てきたものが農業技術とすれば、同様に暮らしのための環境づくりをしてきたのが造園技術である。自然環境への負荷をできるだけ与えずに環境を改善していく、環境を高める技術として、造園技術を社会に発信し、日造協はその技術を担う企業が集まったものとしてアピールていくことができるのではないか。 五十嵐 渡邉さんは、傷ついた自然の修復というお話をされたが、いかがか。 渡邉 地域の景観は地域の遺伝子で構成されているという涌井さんの言葉が印象に残っている。日本は自然環境や動植物が多様といわれるが、これは自然だけが作ったものではなく、阿蘇の草原をはじめ、人と自然の多様なかかわり、文化などを含めた地域の遺伝子によって多様な景観、自然が形成されてきたたといえる。 そして、こうした自然や人々の営みの特性を熟知し、活用してきたのが造園建設業であり、だからこそ、多様な景観や自然を保全・再生する際にその能力の発揮が求められているのではないか。 自然の再生・修復は、マニュアルに沿った事業ではない。自然についてはわかっていないことが多く、さまざまな予測はできても実際にはやってみなければわからない面もある。だから、工学や生態学など、さまざまな分野の方々の知見を得ながら事業を進めており、こうした部分で、多面的な技術を持ち、幅広い領域について見識のある造園建設業の方々が自らの技術を発揮するとともに、コーディネートを行っていく、そういう役割も果たしていけるのではないか。 五十嵐 さまざまな分野が集まったとき、造園が他の分野と肩を並べ、あるいは他の分野をコーディネートしていく能力があるのかが問われているといえるが、そうした点で造園建設業界の能力についてはいかがか。 涌井 造園は、土木、建築を正面に捉えて、それに対応する技術の確立にチャレンジしたことは有意義であったが、その結果、営造物に関する知識は身につけたが、傍ら忘れてしまったものがある。 私は、農具を収集する趣味があり、いろいろな農具を見てきたが、鍬や鎌ひとつをとっても、地域によってその形はまったく違う。これはその土地の形質などに深く関係していて、その土地柄を反映していることがわかる。 造園は、こうした農具と同じで、土地柄を如実に反映した技術を培ってきた。百姓がその土地を可能な限り傷つけずにいかに多くの収穫をあげるかを考えてきたのと同様に、造園技術はいかに自然を傷つけることなく暮らしにあった環境をつくっていくかを考えてきたその収斂の結果といえる。 石積みも、その土地の土がまさ土なのか、粘土なのかによって異なり、さらにそこから取れる石などの地場材料によって、形態がまったく違ってくる。 自然再生のお話しも出てきたが、もともと日本は水害と火事をいかに減災するかという国土づくりを行ってきたのであり、造園技術の要諦もこの点にあったといえる。池や流れもこうした技術が基盤にある。 桂離宮の桂垣も、桂川の氾濫を考えてのものであり、あえて生きたままの竹、しかもヤダケを中心に植え込み、編み込んでいくという手法をとった。 造園技術の根底にあるのは、その土地を読み取る力であり、その上でどうしたらいいのかを、その地域や場所柄、住まう人などに応じて考え、創造してきた結果、今の造園につながっている。 高村さんのいう、あまりにも多面的というお話は、ごもっともであり、その解決策は、一言でいうと、「自分の土地に帰れ」である。 自分の知っている土地で、農の精神に立ち戻り、自然と向き合うことで、そうして培って生まれてきた技術を自ら再評価してみることが必要なのではないか。 愛・地球博で日本庭園を作ったが、高村さんは「これは日本庭園じゃなく、愛知の庭だ」と言い続けた。これも確かにおっしゃる通りで、その土地を読み取ってできたその土地ならではの庭となった。 逆に、土地を読み取る能力を失った人々に、人と自然を結びつける、人と自然のかかわりを再生するという仕事は成り立たない。 もっと、踏み込んだ言い方をするならば、造園建設業の方々は、徹底してドッグアイになるべきだと思う。地に足の着いた地べたからの視点で自らの技術を眺めるべきだ。それを評価、高めていく立場に立ち返るべきである。 合わせて、産業として一番悲しいことは、造園に政策論がないことだ。本来、産業としての造園があるならば、行政が目標としてつくる政策ではなく、学術の体系として整理・考究されている造園政策学があって良い。これがあれば、また別の議論ができるはずだが、その体系がないゆえに議論に踏みこたえられない辛さがある。これは、ドッグアイとともに欠かせないバードアイの視点であり、ぜひとも学の体系で位置づけるよう学会などで頑張ってもらいたい。 この双方向の仕組みがないと、先ほど高村さんが言われたように何をしていいかわからない。二つの視点が合ってはじめて、フォーカスを合わせることができる。バードアイの視点だけでものをいっても、造園建設業の方は、うまそうなことを言っているが、ちっとも口に入らないということになる。こうした点については、私も自戒しているところである。 平成18年度の「あしたのまち・くらしづくり活動賞」で、日造協の会員が、企業の地域社会貢献活動部門で内閣総理大臣賞を受賞した。その次点、内閣官房長官賞はトヨタ自動車であった。これこそまさに地域に根ざした活動での成功例だ。ドッグアイの視点で、世界企業に勝ることもできるのである。 行政もバードアイの視点だけでは成り立たなくなってきている。政策を上から下に降ろすという発想では、すでに伝わらないし、受け入れられない。市井とともにあることが重要で、皆この視点から考えていかないと、現実のものにならない。市民力を信じて取り組んでいくことが重要だ。 五十嵐 ドッグアイ、バードアイという言葉、二つの視点が必要だといわれたが、日造協では昨年はじめて、「花と緑で美しい日本を」をテーマに全国の会員がそれぞれの地域で、造園らしさを生かしたイベントとして、全国造園フェスティバルを開催し、好評を得た。こうした取り組みは、市民力を信じて、市民に造園をもっとよく知ってもらおうとの取り組みといえるが、実際に取り組まれた藤巻さんから、感想を伺いたい。 造園は”お庭番” 地域に根ざしたものづくりを 残念なのは、地域という点でいろいろなお話が出たが、イベントに地域性がみられたかというと少々疑問が残る。私の持論は、造園はお庭番ということだ。お庭番だからこそ、その庭に見合った技術を駆使するし、地域とのお付き合いも欠かせない。しかし、お庭番的な仕事がなくなるに連れ、そこで培った技術やお付き合いが薄れ、なくなってしまう場合もある。 特に、バブル期に樹木などの造園材料が全国規模で大量に流通し、オープンスペースを埋めてきたといえ、これが長く続いてき、価格などの問題も含めて、地場のものが大事にされなかった。設計者が悪いのか、発注者が悪いのか、設計変更を求めなかった施工業者が悪いのかはわからないが、こうした作業に慣れてしまい、未だにそれで良いという考えにも出くわす。造園フェスティバルをはじめ、もう少し真剣に地域に根ざしたものづくりを考えていかなければならないと思う。 涌井 百貨店の方々との打ち合わせで、百貨店が成り立たなくなっているという話を聞いた。百貨店ではなく十貨店で、最大公約数的に売れる商品を揃え、あとは包装紙と袋で商売をしている。今後、十貨店を続けるか、本当の意味での百貨店として、サービスと信用で成り立たせるのかの選択を迫られている。 造園も同様だ。どこででも手に入るものが溢れている。ブランド力を発揮するには、この心を買ってくださいというという売り方しか残っていない。 多様性とは逆に言うと、個の重要性であり、そういうものを社会全体がわかってきた。真似はできても個は個のままで、他が代わることはできない。代われないから個性なのである。そういう意味でも、造園は確固たる個性を持っており、土木や建築も造園に代わることはできない。こうした個の領域を重要視すべきであり、造園は他を真似ることなく、地に根ざした造園を貫き、その姿勢を再発信していくことが非常に大事なことだと思う。 小川 藤巻さんがおっしゃった請負業者の技術の低下や地場のものを大事にするということに関係するが、都市から奥山まで、幅広い場所のそれぞれに応じた造園の取り組み方についてもっと明確にすべきだと思う。そうすることで、技術や地場の材料が見えてくるのではないか。 また、先ほど紹介した小田原市の小澤市長のお話をもう少し紹介すると、歴史的文化的資源の保全、都市における民有地の保全が必要で、特にお屋敷「邸園」が危機に瀕している。 街路樹の維持管理の質も問題で、国や県、市で異なり、統一性がないと指摘。日造協で実施している街路樹剪定士についても、その有効性を示しながら、まだ有資格者が少なく、認知度も十分とは言えないとし、制度の充実とPRが必要だと指摘された。 邸園は相続などの問題があり、公共で買い上げ、都市公園などにするのも一つ手段であり、所有者に持っていただいたまま市民緑地などの制度を活用し、契約・公開することで保全するのも一つの方法である。都市緑地法の改正で、こうしたみどりを保全する制度的なツールは拡充された。しかし、公物や公開にする手法にはどうしても限界があるので、カバーし切れていない部分もある。 もう一つ、みどりの保全については、管理の問題があり、指定管理者制度などの導入も進んでいるが、好例だけではなく、ずさんな管理がなされていることも聞く。みどりは管理が必要であり、貴重なみどりが台無しにならないよう合わせて考えなければならない。 小澤市長は、美しい国・日本をつくるにはみどりが切り札であり、美しい街路樹景観をつくるには計画的な剪定が不可欠ともいっておられた。こうした点でも、街路樹剪定士の更なる展開やみどりを扱う技術力を発揮できる指定管理者としての活躍も期待される。 造園技術に話を戻すと、『国家の品格』の中で、イギリスの大使夫人が、日本の庭師の技術力の高さを、見ていてわくわくするとの表現で示している。長い歴史の中で培われてきた造園技術が引き継がれ、評価された一例である。 これは昭和初期の話だが、その後も造園技術は受け継がれ、屋上や壁面などの新たな技術が加わってきている。環境づくりは、都市から奥山までの生物や景観だけでなく、先ほど話しにあったそもそもの原点といえる国が急務としている防災、減災の観点からも重要で、造園技術が発揮できる場である。ぜひとも日造協として積極的に取り組んで欲しい点である。 五十嵐 造園建設業界に期待される多様な参画の場があり、そこで技術力を発揮することが求められていることがわかってきた。造園建設業界がそれに応えられる技術力を提示できるかどうかが問われている。高村さんいかがか。 高村 万博のときにもよく言ったが、造園技術者が作業に慣れ過ぎてしまっている部分もある。仕事をさせてもらえない、図面通りに作業することがより良いこととされてきた。もう一つは、お客さんから恥をかかされていない。これが技術力の低下の一番の原因だ。 街路樹の剪定にしても、管理者や沿道の方々の言う通りに剪定する作業で、自分たちの主張のない作業になってしまっていた。だから、さっぱりしたとは言われるが、きれいになったとは言われない。個人のお庭でも同様だ。厳しいことを言われ、それに応えた分、成長するがそれがない。嫌々仕事をしている、言われたままでの作業を行うところに有能な人材は入ってこない。 万博の庭園では楽しくつくれと言ってきた。作り手り手が楽しくないものは、見る人も楽しくない。こうしたものづくりを行うと、有能な人材が入り、技術も高まってくる。 こんなに楽しい仕事だということを、これからの造園を担う学生などに、もっとアピールし、楽しく仕事ができるように努力すべきだ。これは各企業だけではなかなか難しい。日造協だからこそできることでもある。 また、提案はなかなか受け入れてもらうことが難しいが、これもやってみなくては始まらない。愛知では、里山というより、林業の分野になるが、衰退している森林の活用を図ろうと考えている。もともと木があり、新しく公園をつくるより、お金も掛からずに済む。さらに、林業と造園のコラボレーション、さらに、高齢者の方々の参画を得るなど、よりいい環境づくりが期待できる。こうした取り組みを進めたいと思っている。 里山という言葉も、ちょうど小川さんが名古屋にいるころに、話題となった言葉で、万博会場問題という、大変なところから広まったものだ。厳しい声、困難だからあきらめるのではなく、解決策を模索する中で、単なる開発、現状維持ではない、発展的な里山の保全が進められるようになり、それが今は一般化している。また、万博で生まれたバイオラングも壁面緑化の代名詞のように使われている。新しいものを作り出し、世の中のニーズがあれば、必ずブームになる。そうしたものをつくっていかなければならない。 技術の話に戻るが、マニュアルどおりにつくるのは誰でもできる。その現場現場で、お客さんの見ている前で発揮できるのが技術である。だからわくわくさせられる。これは口で言っても始まらないし、技術が伴わなければ誰も見向きもしてくれない。そういう業界にはなって欲しくないし、そうなったら終わりだ。 我われはもっと積極的に、市民の方々の目に触れる場面で、技術を発揮していかなければならない。 五十嵐 造園建設業界の技術力について厳しい状況をお話されたが、藤巻さん、改めていかがか。 藤巻 お屋敷の緑の保全についての話が出たが、制度的な詳細はわからないが、相続税を2分の1にし、相続税でいただいたその2分の1を管理に使うことはできないものか。持ち主がその2分の1を返してもらって自分で管理するのでもいいし、その費用で行政が管理するのでもいい。その費用が確保できれば、みどりは保全できる。我われにはそうした技術がある。 指定管理者など、行政が手間の掛かる管理を遠ざける風潮も見受けられるが、逆に一歩踏み込むことによって、こうした民有地のみどりが良好に確保でき、この点をつなぎ線とし、公園や緑地でつなげていくことで、豊かなみどりが確保できる。地域のみどりはそうやって守っていく必要があると思っている。 涌井 藤巻さんの指摘のとおり、個人のみどりは単に個人のものではない。 川崎市と横浜市が主軸となり、多摩・三浦丘陵群で、東京都と神奈川県の行政区画を超えた17の自治体が連携して、「いるか丘陵」の保全を検討しており、その委員長をしている。 日本には公物と私物を担保する法律や制度はあるが、実は「共物」に対するものがない。公が強かった時代に、私は「共」をつくり、みんなで守るということをしてきた。日本はこうした「共」の仕組みに支えられていた部分が多くある。 神奈川県には「邸園文化圏構想」があり、1200の和館と125の洋館のみどり文化と地域景観を守ろうとしている。 これは芦屋の麓麓荘でも同じだが、所有者の多くは自分たちの邸園は個人のものであると同時に、地域のものだという意識を持って大切にされている。だから「共物」でもあるのだが、こうした「共物」に対する制度、守り育てる仕組みがないのである。 この「共」がさらに、典型的に表れているのが里地・里山である。こうした「共」での保全を行う場合に、誰がリードしていくかというと、二つの切り口がある。一つは技術的なものであり、これは日造協の得意とするところといえ、もう一つは、それを地域の人たちと担い合っていくという仕組みづくりと運営である。この「共」の再構築は、日造協が市民とともに上手な運動を起こしていくという話でも述べたが、これから発展していく部分である。 また、技術力の低下といわれるが、これは低下ではなく、発揮する機会の喪失といえる。さらに、せっかくいい仕事をしても、これを批評してくれる人が極めて少ない。これでは技術者が育たない。 万博の庭では、「作業をする者はこの場から去れ、一人一人が仕事をしろ」といった。その結果、皆が仕事に目覚めた。多くの公共の仕事で大事にされた標準化、平均化に流され、固有性や特異性を発揮するに相応しい機会に滅多に恵まれなくなってしまっていた。しかし、機会さえあれば、まだ発揮できる技術、人材は残っている。 高村 市民との協働などといったお話が先ほどから出ているが、街路樹については市民の関心も高く、各地で問題になっている。我われ造園業界は、このタイミングを逃すべきでないと思っている。街路樹は、造園の技術力をはじめ、さまざまな能力を発揮できる場である。このチャンスを造園の立場でどう生かすかを具体的に考えたい。 まず、維持管理という言葉を止め、「育成管理」とするように私の地元では提案を行っている。街路樹によって造園界の今後が変わってくる問題だと捉えて取り組んでいる。 具体の現場では、商店街など、沿道の方々がもっと切って欲しいといい、普段眺めている市民の方々はもっとやわらかい剪定が良いという。造園はその間に入って、管理者の意向を踏まえつつ、どういう形の剪定をしていくかを地域の方々などと、真剣に話し合いながら、納得いくような方法を目指していくことが必要だ。 これは言われるままの作業に比べ、相当に困難な仕事である。そして、その結果、素晴らしい剪定、街路樹が管理育成された場合に、管理育成を行っている企業ではなく、技術者をたたえるべきだと言っている。 そうすると、素晴らしいといわれた街路樹、たたえられた技術者という目標をめざして、他の技術者も努力することができる。この切磋琢磨によって、市民の皆さんにも造園技術の良否がわかっていただけると思うし、いい技術者がいる企業が評価されるという結果になるのだと思っている。 そして、みどりの素晴らしさがわかってもらえれば、ここもそうして欲しい、公園がもっと欲しいなどといった声につながっていくはずだ。こうした活動を考えていくべきである。 涌井 多摩プラザのケヤキの落ち葉を地元の方々が協力して熊手できれいにしている。しかし、そこには造園業者の方は見られなかった。こうしたところにお手伝いに入っていく、むしろ率先してやっていくことがドッグアイの視点であり、ブロアーなどを使った業者ならではの作業が行えるのではないか。 逆に、いい話では、除雪作業は造園屋さんにお願いしたいという話もある。造園屋さんは、玄関先やカーポートもきれいにしてくれるが、他の業者さんは道路の雪をどけるだけだからという。こうした仕事、かかわり方をもっとしていくべきだと思っている。 |